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茨城県古河市小堤にある円満寺(えんまんじ)と小堤城館(こづつみじょうかん)について解説する。円満寺は真言宗豊山派の寺院。山号を宝林山、院号を地蔵院という。円満寺が立地する小堤城館跡は、中世の在地領主居館跡と推定されており、寺の周囲には方形の堀・土塁が残されている。〔『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 470-475頁(小堤と円満寺の密教法具・内山俊身 執筆)〕 〔『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 476-485頁(小堤城館と出土銭・内山俊身 執筆)〕 〔『総和町史 通史編 近世』 394-395頁(町内の寺院・小堤村・松本剣志郎 執筆)〕 == 円満寺の歴史 == 寺伝によれば、平安時代の大同4年(809年)、弘法大師(空海)が出羽・湯殿山(山形県)参拝の帰路に当地を訪れ、堂宇を建立したことが起源。当初は現在の円満寺から南に300mほど離れた字「寺家山」にあったが、室町時代に古河公方家臣・諏訪三河守の保護を受け、現在地に移転したとされる。〔 円満寺のある小堤城館跡は三重の堀・土塁(内掘・中堀・外堀)に囲まれていた。現在も寺の北側と西側に内堀の遺構がある。創建地の「寺家山」は、内堀と中堀の間、すなわち小堤城館の外郭にあったことから、当初は領主の持仏堂が城域内に建立され、のちに城域全体が寺院化したと推測される。同じような事例として、太田市の円福寺や足利市の鑁阿寺があり、この寺も城館主の信仰に関連して創建されたと考えられる。〔 小堤城館の主に関しては、寺伝にある諏訪氏の他にも、古河公方重臣・野田氏が挙げられている。戦国時代の天文23年(1554年)以降、小堤地域は野田氏の知行地だった。また永禄3年(1560年)以降は、北方に隣接する下野・小山氏が上杉謙信に与し、古河公方・足利義氏と野田氏に対抗していたので、野田氏により「境目の城」として拡張・整備された可能性がある。〔 江戸時代には「小島坊」とも呼ばれた。(『古河領分寺院書上』、『古河志』) また、小堤にある八幡宮・香取宮・熊野権現・天神宮・稲荷宮・浅間宮・鷲宮の別当寺にもなっていた。天保期(1830-1844年)には、年貢を免除された除地が7反9畝あった。(『古河領村鑑』) 村内のもめごとを円満寺が調停した記録が残されている。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「円満寺 (古河市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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